37・3[第3ステップ] |
オハ35系7輌編成 【昭和15年頃の特別急行列車「燕」のイメージ
(実車)
昭和12年7月1日の時刻改正から昭和17年11月15日の約5年間を戦前の鉄道黄金期と呼びたい。昭和12年7月1日には特急「燕」の姉妹列車「鴎」が東京〜神戸間に登場、同時に「臨時燕」も「不定期燕」に格上げされた。
従来からある東京〜下関間の「富士」「櫻」と合わせて定期特急列車だけでも4本がとびかい東海道特急は全盛時代を迎えたのである。スピードの面でも東京〜大阪間8時間と戦前の最高スピードレベルに到達、昭和17年軍事輸送優先で旅客列車削減が始まるまでの約5年間は「黄金期」と呼ぶにふさわしい時代だあった。
この時代の特急列車を構成する客車といえば、スマートなスタイルで張上げ屋根やノーシル、ノーヘッダー車などバリエーションも豊富なオハ35系をおいて他にない。
寝台車を含まない、赤、青、白帯の賑やかな各等特急ということで第11、12列車「燕」をイメージしている。
牽引機関車EF56とC53が妥当である。EF57、C59が引く場合には3等の赤帯とのアンマッチが問題となりそうである。
(模型)
ペーパーキットの老舗小高模型では、かなり古くからオハ35系の車体キットを発売しており1960年代のはじめプレスボード車体キット9輌分を購入比較的簡単に組立てが完成した。(全車室内灯点灯)ただ塗装スプレー器がなく、アース噴霧用の手押しポンプを改造して塗装した。
あれから40年以上経過しているが、ぶどう色の塗面は健全である。但し、屋根上面のグレーだけは汚れが目立ってきたので、ごく最近再塗装してある。
9輌のうち、スハネ30とマロネ37の2輌は各等特急「富士」の編成に転出している。(37・2[第2ステップ]参照)7輌編成の内訳は次の通りである。(台車は特記以外TR23)例によって実編成よりも、オハ35系のバラエティを楽しむこと、丸屋根、広窓の統一美を楽しむ
ことを優先させている。
1号車 (半赤帯) |
スハニ3245 | 本形式から3等荷物合造車にも洗面所が設けられ 特急「燕」の1号車に採用された |
2号車 (赤帯) |
オハフ33138 | オハ35をオハフにした形式、車掌室側にテールライト 点灯式 |
3号車 (赤帯) |
オハ352008 | 3等車の広窓は本形式が最初 |
4号車 (帯なし) |
スシ3710 | 丸屋根最初の食堂車、台車は3軸TR73(本来なら戦前 最後の豪華食堂車、冷房付きマシ38を連結したい所・・・) |
5号車 赤青半々 |
スロハ322 | 勿論オハ35系一族のメンバー、しかし特急「燕」の編成には 似合わないが |
6号車 (青帯) |
オロ3625 | 狭窓2等車オロ35を広窓にした形式 |
7号車 (白帯) |
スイテ492 | 唯一の丸屋根新造展望車、台車TR73(広窓で統一するなら 鋼改展望車スイテ37がふさわしかったが・・・・・) |
以下に各等特急「燕」(戦前の列車名つばめは漢字で「燕」と書き、戦後復活したつばめは「つばめ」となった)の編成写真を掲載する。
オハ35系編成は初代レイアウト開通式のとき完成していたが、牽引するロコの選択に苦労した。
[1] C571 (1次型)牽引の各等特急「燕」 |
初代レイアウト開通式の時実際に「燕」を牽引して走行した蒸機はC59(カワイ未塗装ブラス)であったが厳密にはC59の出現が昭和16年、3等の赤帯廃止が昭和15年なので矛盾する。走行を楽しむ時にはこの程度の矛盾は無視する事もあるが写真を掲載するとなるとマズイ。
それに未塗装機関車と塗装客車の組合せのアンマッチの問題もあるので塗装済みモデルC571(1次型、アダチ1973発売)に登場願った。(「燕」牽引機としてはC51、C53、C59がが妥当と思うが、何れも当社では未塗装モデル)C57にとってやや荷が重いが「燕」の編成も10輌から7輌に短縮してあり"ヨシ"としておく。
上段左より |
イテ49の展望デッキが見えるようオロとスイテの順序を変え且つスイテの向きを180°かえている。展望デッキの「つばめ」のテールマークは点灯式 |
[2] EF563牽引の各等特急「燕」 |
赤帯「燕」の牽引電機としてはパンタを中央に寄せ、半流線形のスマートな車体で登場したEF56が最適である。
但しEF563が天賞堂から発売される前に初代レイアウトを解体処分したしまっていたので、この編成で初代レイアウトを走行することは無かった。以下の写真はロコがC57からEF56に入替わっただけなので説明は省略する。
[3]EF551 牽引の各等特急「燕」 |
世界的な流線形ブーム時代に幼少期を過した小生にとって、人一倍“流線形”へのこだわりがある。そこでEF551に再登場願い、その拡大気味の編成写真をお目にかける。
37・4[第4ステップ] |
ナハ10系 軽量客車 8輌編成 【昭和37年頃「幹線寝台急行列車」のイメージ
(実車)
1963(昭和38)年頃、天賞堂発売のナハ10系軽量客車シリーズ8種すべて購入して8輌編成を組んだものだけに、プロトタイプとなる実車編成などあるはづのない無理な編成である。それでも敢えて実車編成を探すとなると「ヨン、サン、トオ」(昭和43年10月時刻改正)で20系特急となる前の急行列車時代の「日本海」があげられる。
当時の「日本海」は1.2等寝台車、1.2等座席車、それに郵便車や食堂車を含むいわゆる「幕の内」編成であったから、かなり「イメージ」に近い存在である。
大阪〜青森間程の長距離になると牽引機関車もバラエティに富み、EF70、DF50、C57などが適任である。
また東海道、山陽両本線をロングランするEF61牽引の急行「雲仙」あたりはムリだろうか。
(模型)
日本の鉄道模型の創成期に天賞堂が日本型模型を発売する時期は非常に遅かった。
カツミ、鉄道模型社、カワイ、つぼみ堂、宮沢などが続々発売を続ける中、なかなか天賞堂が出てこない。
やっとDF50が1963(昭和38)年発売されたと思うと次の車種EF15発売まで6年もかかっている。
ただナハ10系客車シリーズに関しては、DF50牽引用との狙いもあってかDF50とほぼ同じ時期に8種類もの完成車を揃えていた。
当社でも、このDF50501とナハ10系シリーズ8輌を購入、初代レイアウトを走行させた話はすでに述べた(「第17回」DF50ディーゼル機関車参照)又、その時の編成を再現した写真も掲載している(「第27回」EF60500番台 電気機関車参照)
今回はこれと異なった機関車の牽引する8輌編成の写真を掲載する予定であるが先ず8輌編成の内訳を以下にしるす。
1号車 | カニ381 | 旧車の下周り(台車TR71改)を利用した軽量客車スタイルの車 輌シャッターを利用した総開き試作車。1型式1車輌 |
2号車 | オユ127 | オユ10.11と違って、郵便区分室のない郵便車である。郵袋を積 み込んで遠距離用に使われる荷物車的郵便車。従って荷重は 郵便車最高の13t |
3号車 | ナハ1180 | ナハ10を蛍光化し、一部改造を行った型式。本編成で唯一の 座席車である |
4号車 | ナハネ1146 | 10系寝台車の特色は、車輌限界一杯まで車体幅を広げ(2.8m →2.9m)連結面間長さも(20m→20.5m)と一回り大きい車体とし た事である。ナハネ11はナハネ10の改良形式 |
5号車 | オン175 | 遊休3軸ボーギー車の台枠を利用し軽量構造の2900o幅車体 に改造した新しい食堂車。テーブルはすべて4人掛けとなり、定 員も増加、このテーブル配置は以後の食堂車の標準となった |
6号車 | ナロハネ103 | 本来は中央線や信越線など亜幹線用の2.3等寝台合造用である が、バラエティ楽しむため連結。中央に出入口を設けた珍しい形 態をしている |
7号車 | オロネ104 | 旧形2等寝台の老朽化のため新造されたプルマン式2等寝台車 本編成で唯一の冷房装置付き軽量構造寝台車である |
8号車 | ナハネフ115 | ナハネ11を緩急車形にしたもの。定員54でナハネと同じ |
1963年当時、天賞堂で発売していたナハ10系客車は8種類。その8種類すべてを組込み、且つ同一型式を2輌含まない8輌編成が出来上がった。
以下に列車編成写真を掲載するが、すべて初代レイアウトを走行した編成を再現したものである。
[1] EF70、C57、DF50、と機関車バラエティに富む 「幕の内」編成急行「日本海」 |
上段左より EF704(カツミ1964年)+カニ381+オユ127+ナハ1180+ナハネ1146オシ175+ナロハネ103+オロネ104たすナハネフ115 |
牽引機C57(4次型カツミ 1964年発売) |
牽引機DF50501(天賞堂1963年 発売)
何故かDF50に替えるとカニ38が編成の最後部にまわってしまった
[2] 同じ「日本海」を別角度から |
[3] 東海道を西下する急行「雲仙」まがいの列車 |
機関車がEF6116(鉄道模型社 1963年 発売)に替っただけなので説明省略
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