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「第36回」 41.D50、D60 宮沢蒸機 2兄弟

41・1 D50 蒸気機関車





(実車)
C51が大正時代の標準蒸気機関車8620強大化とすれば、D50は貨物用9600の強力化と言える。
軸配置が国産初の1D1 MIKADO (先輩のMIKADO 9700は輸入機)で、大きなボイラーを持つ堂々たる貨物機D50は1923年(大正12)の誕生で、以後9年間にわたり380輌が製造され、C51と共に国鉄興隆期の立役者となった。
動輪直径も1400oと貨物用としては比較的大きく、この為、急勾配の旅客列車にも適し、東海道本線の箱根越え関が原越えに早速活躍した。その後、輌数の増加と共に、全国の幹線で使用され、かなりの間日本の貨物用機関車の王を保っていたが、軸重が重いため線区は限られていた。
信越本線の旅客列車、室蘭本線筑豊本線等で長い石炭列車の先頭に立つ姿などはD50の真骨頂と言ったところである。
姉妹機としてD51が生まれ、更に強力なD52が戦時中に製造されたが、何れもD50を基準として改良されたものである。

(模型)
1968年宮沢模型発売の塗装済みKIT組立。
当時D50は宮沢しか発売していなかったので、「D50は宮沢」と言われる程の「宮沢の代表製品」であった。
それに何より、動軸バネ可動式の大型機でありながら、例の「宮沢の低価格路線」に抑えた発売を喜んだ記憶がある。
組立てに苦労した記憶はないしピストン尻棒を取外せば560Rも何とか通過するが、走行抵抗が増加する。610Rが無理のないところか。
レール追随性もよく、slow走行もOK、低速域と高速域では、走行電流0.6Aで音も極めて低く滑らかな走行をする。
唯一の欠点は一定の中速域でGear Boxの共振が原因と思われる騒音を発することである。この為、このD50は当社で「騒音発生機」と言う有難くないアダナを頂戴している。
当社の機関車リストの中に「要ならし運転」のフセンの付けられた機関車が、このD50を含めて4台ある。何れも音発生を嫌って、完成以来殆ど走行させていない機関車ばかりである。
この4台の実績をみても、ならし運転によって徐々に音発生レベルが低下する傾向が見られるので、最近では諦めずに走行に努めるよう方針転換している。

D50 Movie



41・2 D60蒸気機関車





(実車)
D60は軸重の重いD50の従台車を2軸に改装し、(1D1→1D2、MIKADO→Berkshire)9600級の軸重にして、ローカル線でも使用出来るようにしたものである。(1951年改造開始)中でも磐越東線北上線山口線など、D60なくなくしては語れない。
幹線電化による大型蒸機余剰が生んだ型式で、D62D61と同系列に属するが、元来が一時代前の機関車なので独特のスタイルとなっている。何れにしても、斜陽期に入った蒸気機関車の悲しい変転の姿ではあるが、国鉄蒸機にバラェティを加えている事は確かである。

(模型)
D50発売の翌年(1969年)当然の事ながら宮沢模型からD60が発売され塗装済みKITを購入した。
実車と同様D50の従台車を2軸タイプにしただけで基本的にはD50と同一である。しかし実車が山口線時代に取付けていた独特集煙装置を模型でも装着すると、両車は随分趣の異なるモデルとなっている。
このD60は残念ながら、当社ただ1台の完全静態保存機となっている。つまり動輪がまわらないのである。原因はロッド類の何れかの寸法の狂いと推定しているが、今の所そのまま放置している。
他に動力を持たないダミーの蒸機が4台あるが、この4台はスムーズに走行するので重連運Push Pull運転で楽しんでいる。
最後にD50380、D6038、宮沢2兄弟の並んだ写真を掲載して、「第36回」を終了する。









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