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"City of Los Angeles"の激走 (1) (2) (3) (4)


[一口メモ] 
UPの特急列車には、Yellow塗装"City 特急"Gray塗装"Overland特急"の2種類がある。(UP Gray集合参照そして"Overland特急"牽引用のFEF844"City 特急"用のYellow客車を牽引する事は余程のアクシデントでも起こらない限り有り得ない。
ところがそのアクシデントが起こったのである。その顛末は「とれいん誌NO.357(2004/9)米国客車の楽しみ第2回、UP特急 秋の夜の珍事」に記載されているのでその要旨を述べよう。
1958年秋のある夜のこと、闇夜を切裂いて東を目指していたUPの特急"City of Los Angeles"(COLAと略称)シカゴ行き16輌編成は突如起きたディーゼル機関車の「車軸焼け」で緊急停車してしまった。
近隣の機関区には運悪く予備の旅客用ディーゼル機関車は皆無。その他の予備機として待機していたのは何と蒸気機関車!現在でも動態保存機として名高いFEF3 844であった。
844号機に牽引されて1時間遅れグランド・アイランド駅(ネブラスカ州)を出発したCOLAは、通常の途中駅停車をこなしつつ、引継ぎディーゼル機関車の待つオマハ駅到着の段階で何と20分遅れまで短縮していた。
(とれいん誌には、オマハ駅で待っているのはシカゴ&ノースウエスタン鉄道のディーゼル機と記しているが、1955年以降COLAミルウオーキー鉄道経由となっているので、待っていたのはミルウオーキー鉄道ディーゼル機の筈)
計算してみれば230.5km(144.1mile)を1時間30分で走破しており、平均時速にして154km/h大激走である。
乗務員の間でまことしやかに伝えられてきた「時速130マイル(208km/h)で運転したとこがある。神に誓って本当さ!」と言う伝説が再現された夜であった。
記録を見る限り、現役時代のFEF単機でYellow特急を牽引したのは後にも先にもこれ1回だけである。(ディーゼル機関車の前補機として、流線形特急を牽引している写真は多数残されているが・・・)
それでは連続出力5000馬力 FEF844蒸機の面目を掛けた激走ぶりにご注目頂こう。


8枚のスチール写真



















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