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Bauart Hamburg DC・ET11 EC
  対向走行 (2)




Bauart Hamburg DC
  単独走行
(1) (2) (3)

ET11 EC
  単独走行
(1) (2) (3)

Bauart Hamburg DC・ET11 EC
  併走・対向走行 (1) (2) (3)


[一口メモ]
列車の高速化」への挑戦はアメリカでもドイツでもディーゼル列車(DC)で始められた。双方の共通点は車体を極度に「軽量化」し、空気抵抗軽減のため「流線形化」したことである。
その成果は、アメリカCB&Q"Burlington Zephyr"のデンバー〜シカゴ間ノンストップ平均速度125km/h、ドイツDRG"Bauart Hanburg"(ハンブルクタイプDC)のベルリン〜ハンブルク間表定速度124km/h等の記録で明確となっている。
ドイツのディーゼル特急網は、この流線形2輌連接構造の「ハンブルクタイプ」の14編成(1932年製造開始)から始まり、4輌連結構造の「ベルリンタイプ」2編成(1938年製造開始)に至る合計33編成で構成された。その塗色はModelで御覧のように、バイオレットのボディを窓回りのクリーム色で塗り分け、屋根とスカートが銀色の人目を引く美しいものであった。
一方で、当時すでに電化されていたミュンヘン〜シュットガルト間には流線形2輌連結の高速電車ET11型(1935年製造開始)3編成が投入され、最終的にはDC、EC合わせて38編成からなる高速列車網が出来上がったのである。
最高速度160km/hで設計されたこのET11型ECは比較的交通量の多いミュンヘン〜シュットガルト間を平均時速100km/h強でカバーしていたので、当時の高速ネットワークの一翼を十分担っていた。
その塗色クリーム色のボディにスカートがチョコレート色銀色の屋根に赤いパンタグラフと落着いた色合いが端正なスタイルによくマッチしていた。またET11の流線形デザインは日本の流電モハ52シリーズに影響を与えたとも言われている。
1930年代にドイツに、今でいえばインターシティ ネットワークのような高速列車網が完成していたことは、勿論特筆に価することではあるが、「高速性」を優先するあまり、食堂車寝台車の連結もなく連結数も最大4輌編成「快適性」「大量輸送」では問題なしとはいえなかった。
これらの「弱点」をカバーすべく徐々に台頭してきたのが蒸気機関車牽引の"D-Zug"(急行列車)達であるが、これについては別稿で記載する。


12枚のスチール写真

 Bauart Hamburg DC













 ET11 EC













 Bauart Hamburg DC・ET11 EC併走











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