過去の鉄道模型に関連する事象の幾つかを写真を主体にして紹介する。


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 過去へのタイム・スリップ  目次
1ページ 「第1回」 製作第1号:O ゲージ 湘南型 80系 2輌(クハ86+モハ80)
「第2回」

製作第2号: Oゲージ スカ型 70系 2輌

「第3回」 Oゲージ C62 と EF58 の製作
「第4回」 1.C62 と EF58 の出来具合を点検する
2.C62 と EF58 の試運転
2ページ 「第5回」 現在のOゲージ C62 と EF58
「第6回」 HO ゲージ初期の製作車輌
3ページ 「第7回」 我が家の鉄道模型、社報に紹介される
「第8回」 今度は週間「平凡パンチ」に掲載される
「第9回 初代レイアウト開通式 ’04/7/16 追加



「第1回」
製作第1号:O ゲージ 湘南型 80系 2輌(クハ86+モハ80)

S27年 製作

(実車)
1950年(S/25)、旧国鉄は新しい時代を迎えた。
それは湘南電車80系の登場である。当時まで国電は都市近郊の短い区間に運転され、客車列車とは性格を別にしていた。
しかし、東海道線 東京ー沼津間の列車を電車化する構想が具体化し、それが結実して湘南電車となったのである。
オレンジとグリーンの塗り分けも鮮やかな、この湘南電車は後に関西にも進出したので「湘南型」と呼ばれるようになったが、それまでの電車の常識を覆す革命児でもあった。その理由を幾つか挙げてみよう。

  1. 車体の設計が其れまでの電車と異なり、客室と出入り口を区分した客車的なものにして、従来の電車のイメージを一新した。
  2. 時には16輌編成で運転される。そこで、これはもはや電車ではない。新しく電車列車と呼ばれる存在である。
  3. モハ80は運転室を持たない電動車(中間電動車)として初めて出現した。この新しい構想はモハ70、72と続きやがて運転室のある従 来の電動車モハはクの字をつけてクモハと呼ばれるようになった。
  4. クハ86になって初めて電車列車の先頭に立って活躍するようになり、クハ86が80系の代表(顔)として知られるようになった。
    それまでのクハは分離、併合に使われるぐらいで編成の中間に挟まれている事がおおかった。
    当然の結果として、電車の顔はモハであった。
  5. この電車列車の思想は在来線 特急"こだま"に引き継がれ、更には世界に冠たる日本独自の高速電車列車、動力分散方式新幹線列車に発展していったのである。確かに湘南電車は50年以上前の「電車の常識」を現代の「電車列車の常識」に変革したエポックメー キングな車輌であり特筆に値する存在である。

(模型)
1952年(S/27)製作 Oゲージ (32mmゲージ、縮尺 1/45)( クハ86+モハ80)
 
 …交流3線式80系2輌(ボディは当時好評だった「つぼみ堂」のファイバーボディキットを使用)…
 …クハ86は正面2枚窓の流線形 2次型、いわゆる"湘南タイプ"…

1952年当時、小生は東京で下宿生活をしていた。学生の身で懐具合不如意。とても「鉄道模型」に手を染め得る状況にはなかった。
(それでも当時唯一つすでに存在していた「鉄道模型趣味」(TMS)は愛読していた)そこへ、いい話が舞い込んできた。
お世話になっている親戚の甥が「鉄道模型を欲しがっている」と言うのだ。部品、材料の実費だけを貰い、製作、労務費は無料という条件で甥の両親との間に契約成立。80系2輌を製作し、トランス、レール等をつけ、すぐ運転出来る形今日で言う"Train Set"の形で納入した。
当時の花形車輌(単に話題性としてでなく、湘南電車の華やかなデビューを小生は東京で直接目にしていた)をこのような形で製作出来たのは誠に幸運であったと50年以上経った現在も思っている。(受注生産、即納入という型を取った為、写真もお粗末なものしかなく、勿論現在の当社の在籍車輌にも登録されていない。)





「第2回」 製作第2号: Oゲージ スカ型 70系 2輌

実在しない(クモハ76+クハ76)S27年 製作

(実車)
湘南型80系の後を追って現れた新規軸電車が、俗にスカ型と呼ばれる70系。その名の通り、1951年に先ず、横須賀線に投入された。湘南型と同様、クハを先頭にして、電車列車形式に編成され、それまで20年余り横須賀線に君臨してきた「スカ線の顔」モハ32一党を地方へ追いやってしまった。3扉セミクロスシートカーで、クハの先頭部は湘南型のクハ86 2次形と同様、正面2枚窓 流線型"湘南タイプ"が採用されている。戦前から、東京近郊の国電(当時は省線電車、略して省線と呼んでいた)の中で色々の意味で一目を置かざるを得ない存在であった横須賀線のエースを製作出来る幸運が又もやってきた。

(模型)

夏休みに帰郷して高校の恩師に「製作第1号」の話をし時、「それなら俺の息子にも頼む」と依頼され製作に着手したのがこの「製作第2号」である。従って「製作第1号」と異なる点は
1、製作対象が80系から70系に変わる。
2、納入さきが「甥」から「恩師の子息」に変わる。
以上2点以外、製作のやり方、受注契約、Train Set方式納入形態、適当な写真の無い事など殆ど同じである。但し、製作第1号納入後その反省にたって変更した点が一つだけある。それは実車には存在しないクモハ76を模型で作ってしまったことである。

製作第1号の(クハ86+モハ80)はクハ86を先頭にして走行させる時はまだ良いが、逆にモハ80が先頭の時はサマのならない。
当時「実車に忠実・・・・・」「モハ80には運転室が無いから・・・・・」と苦しい言い訳をしてきたが「実車に忠実」よりも「模型の実感的運転」を優先し、2輌編成でも両端に運転室、ヘッドライトのあるスカ型70系2輌を製作した。
実車について、あれこれ追求する「鉄道マニア」と模型運転を楽しむ「鉄道模型運転マニア」との違いがここにある。
当社の鉄道模型コレクションやその運転の楽しみ方に関する思想の一端はこの時確立した。(別項「コレクション&オペレーションの重点」参照)実際の製作に当たってはクハ76ボディキットを2輌分購入、その内の1輌にパンタグラフを装着し、電装して現実には存在しないクモハ76を創作した次第である。





「第3回」 Oゲージ C62 と EF58 の製作

敗戦とともに多くの価値観が180°転換し、誇るべきものが何一つ無くなってしまったような寂しさに陥っていた小生にとって、このC62と EF58 の出現は復興のシンボルであり「二つの希望の星」であった。そして前述のような受注生産納入の形態でなく、自らの資金で、自分の為の車輌を作れるようになったら真っ先に C62と EF58 を製作しようと心に固く決めていた・・・・。

(実車)

C62

S23年 国鉄最大の蒸気機関車として登場
その生い立ちは、これまた敗戦が深く関わっていた。戦時中の軍事貨物輸送第一主義のもと大量に作られた D52用大型ボイラーが敗戦とともに余剰になってしまった。このボイラーを戦後の旅客本位輸送に活用して生まれたのが旅客用蒸気機関車 C62 である。数ある蒸気機関車のなかで、C53 が忘れ得ぬ蒸機、D51 が大世帯のポピュラーロコと並ぶ中で C62 はその堂々たる威容と共に最後の特急用蒸機としてその頂点に立つのである。総数約 50、1948、49年に川崎、汽車、日立の3メーカーで製造され東海道、山陽をはじめ主要幹線で活躍。

EF58

EF58(旧)は貨物用になった EF18 (3輌)を除き全部あの一世を風靡した流線形スタイルとなり、出力を1600 → 1900kWと強化、暖房用重油ボイラーを装備するなどすっかり面目を一新し、名実とも日本の代表的電気機関車になった。東海道本線の特急牽引機として、色々な塗装も施され、またお召し機も作られ総数 170 輌余に及ぶ。小生にとって昔も今も EF58 は「あこがれの電気機関車」である。

(模型) O ゲージ C62 及び EF58 (在籍1号、2号)
昭和28年ごろのカツミのカタログには「O ゲージ(32o)最高水準をいくカツミ製機関車の勇姿」として C62と EF58 が並ぶ写真をあげ、その下に「国鉄が世界に誇る最新鋭の F 級電機 EF58 !
そして C62 蒸機 ! カツミが誇るのもこのEF58、そして C62 であり、模型界にその真価を問う代表車・・・・・」との説明がある。すでに今回の冒頭にも記述した通り、このようなカツミのカタログに煽られて KIT を購入した訳ではないが、C62 と EF58 に対するカツミの自信の程がうかがえる。
実際のところ48年前に購入したこの2台を今手にしても各パーツのしっかりした造りに満足感を覚える。唯一の例外はEF58 の先台車がシーズン・クラックでバラバラに分解してしまった事。S51年頃、名古屋の早川模型製作所より真鍮鋳物製先台車を入手し完全整備状態に復帰した。ところで KIT を購入したのはS30年、社会人になって自分の給料で買った最初の大物だった。
KIT を入手したという安心感と仕事を優先させたこともありしばらく放置、製作に着手したのは結婚したS35年である。当時まだ子供はなく、2羽の文鳥を手乗りで育てていた。そして休日には文鳥たちと共に C62 と EF58 の製作を楽しむことが出来た。文鳥の様子が面白いので5枚の組写真としてお届けする。







「第4回」 
1.C62 と EF58 の出来具合を点検する

完成した2台、動き回る物体に殊更興味を示したのはまたもや文鳥たちである。そこで彼等に完成状況の点検を御願いする事にした。以下文鳥が主役の7枚組写真をお目にかける事にする。















2.C62 と EF58 の試運転

文鳥にお帰り願って次の休日は本格的試運転。連続運転する為にはレールをエンドレスに組まなければならぬ。エンドレスを組むためにはレールを居間、ダイニング、ベランダにまたがって組まねばならず大仕事であった。使用レールはF20本曲線レール(直径3120o)ポイントはこれと曲率の同じ特大ポイント。何れも規格品としては最もカーブのゆるいもの、これでないと EF58 やC62 は通過できない。O ゲージ大型スケールものの運転は大変である。
ポイント通過OK、重連運転OKで無事終了。晴れて当社在籍車輌第1号及び第2号に登録された。それにしてもくつろぎすぎる姿で運転に臨んだ事を今となっては後悔、反省している。失礼 !!

ポイント通過前の点検 電蒸重連運転テスト



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