S15・3 (3) | MOVIE目次へ | |
You Tube 赤・青併走 (1) 単独走行 内側より撮影 Uターン走行 赤・青併走 (1) |
[一口メモ]
先ず"Rheingold"の略式区分呼名について、先回登場したオリジナリ塗色(クリーム/青)の戦後復活版"RHeingold"を「青ラインゴルト」、今回のTEE色(クリーム/赤)"Rheingold"を「赤ラインゴルト」と呼ぶことにする。
ヨーロッパの主要7カ国の参加で計画されたTEE(Trans Europ Express)は1957年運行を開始した。(2007年にはTEE発足50周年モデルが幾つか発売された)
TEE列車には、日中走行であること、編成はすべて1等車とすること、食堂車を連結すること、平坦線で140q/h以上出せることなどの基準があった。
結果的にTEEは大評判となり、TEE発足以前からあった各国自慢の看板列車もTEEの仲間入りをすることとなった。
本項の「ラインゴルト」をはじめ、フランスの「ル・ミストラル」、「エトワール・デュ・ノール」、イタリヤの「セッテベロ」、スイスの「エーデル・ワイズ」などである。
このように隆盛を極めたTEEも1975年をピークに凋落がはじまった。
それは世界的な景気の後退で、1等車ばかりの贅沢列車が敬遠されるようになったからである。そして乗客獲得のため2等車を組込み、TEEの名を失う列車が続出した。
こうして1987年、TEEに代わってEC(Euro City)やEN(Euro Night:EC夜行版)、IC(Inter City:国内急行)がスタートした。
このような歴史的経過の中で、1965年「青ラインゴルト」は「赤ラインゴルト」に変身したのである。
牽引機は「青ゴルト」がE03 EL、「赤ラインゴルト」がE103 EL、両車は一卵性双生児で、E103の量産先行試作タイプがE03で、外観的には側面鎧窓が横1段から2段になった位の差しかない。
1961年200km/h走行を目指して開発着手、C-C軸配置、出力6000kwのE03は1965年6月ミュヘンで開催された交通万博への乗客輸送のデモンストレーションで200km/hを実現した。
日本の新幹線開業に遅れること僅か8ヶ月、勿論ヨーロッパで最初の在来線による200km/h走行実現であった。
以後、量産タイプのE103が続々営業運転に投入され、1970〜1980年代はまさに全盛期で、TEE、EC、ICなど高速列車牽引の主役として大変目立つ存在であり、E103引退後の現在でもそのフアンは多い。
ライン川沿いの景勝地を走るE103牽引"TEE Rheingold"の写真が多く残されている。
Modelの赤ラインPC×7はLima製。
14枚のスチール写真