TOPへ 保有車輌紹介 第1の部屋 13ページ 15ページ

「第31回」 35. C55蒸気機関車








(実車)
C54の改良機として、1935年(昭和10)C55が誕生した。
このC55あたりから、国鉄蒸機の設計は外観的にも大きく変化し、近代国鉄型と呼ばれるスタイルとなった。
ランボードが高く一直線となり、スチームドームとサンドドームが一体にまとまり、テンダー車体が溶接になるなど各部に新様式が盛られている。動輪がボックス式になってないあたりが、もう一歩という所であるが、それでも先輪と共にスポークに水かき状の補強がつくという特色をもつ。
C5520〜C5540の21輌は折からの世界的流線形ブームに乗って流線形で登場、時代の花形となったが後年普通型に改装された。
C5541以降の後期グループ(当社のモデルもこの後期グループに属する)はキャブ、テンダーの形態、寸法がC57第1次型に準じており、形態的にはC55とC57第1次の中間といえる。かなり全国的に活躍、総数62輌、後続はC57に移った。

(模型)
1966年(昭和41)カツミ発売 シュパーブライン未塗装 KIT組立て(但し、Moter Gear Box 未装着)
1965〜66年は大型蒸機モデルの全盛時代で各社から次々発売された。
組立て作業が追いつかなかったのか、仕事のせいか、或いは単に飽きがきたのかその原因は定かではないが、カワイC60に続いて今回のカツミC55が動力を持たぬDumy SLとなってしまった。実はもっとひどい話がある。
同じカツミから1965年発売されたシュパーブラインD52塗装スミKITが例のKTM Superb Lineの金文字が印刷された箱に未開封の状態で収まっている。話を本題に戻すとして、モデルのC55には動輪のスポークに水かき状の補強も付いており、TMS222号(’66/12月)でも「一級品」の評価を与えている。
走行関連メカの動きも極めてスムーズ、リレーラに乗せると自重でレールの上まで走行するほどである。C60の場合と同様に重連運転やPush運転を楽しむことにしている。
上記TMSには、実用通過カーブは610Rとあるが、当社では右回りに限り550R走行OKである。(左回りの場合550Rではショートする)なおナンバープレートはC57 1次型との類似点の多い後期グループのラストナンバーC5562を取りつけている。


36e10


「第32回」 36. E10蒸気機関車










(実車)

我が国の粘着最急勾配区間(33パミール)である奥羽本線福島〜米沢間(板谷峠越え)は昔から特殊な急勾配用機関車を必要とした。4110型は戦時中の酷使から休車が続出し、新規機関車との取替えを要したので、1948年(昭和23)にD52とほぼ同容量の大きなボイラーを持ったタンク機関車E10が5輌製作された。
動輪上出力1340馬力の我が国最大のタンク機関車であり、また我が国最後の新製蒸機であった。2E1(4-10-2)という国鉄唯一の車軸配置を採用、当初は普通とは反対にキャブ側を前位としていた。一方「石炭の確保」は当時相次ぐストライキと人手不足で非常に困難となってきていた。
そこで幹線と石炭消費の多い勾配区間は出きるだけ電化しようという方針が実施に移され、福島〜米沢間は翌年電化されて、E10の新製は無意味なものとなってしまった。その後、人吉、金沢と転じたが、最後は米原付近で交直区間連絡用で余生をおくった。

(模型)
1966年(昭和41)鉄道模型社発売 塗装スミ KIT組立て
迫力ある姿態を持ちながら運命に翻弄された悲運の蒸気機関車E10には前々から魅力を感じていたので、1966年鉄道模型社からそのKITが発売されると迷わず購入した。
勿論日本最初のE10モデルである。組立て作業に苦労した記憶はなく、むしろウエートの多さに驚かされた。普通のボイラー内への装着の他にサイドタンク内、後部のコールバンカー両サイド内にも板状ウエートが入っている。
当時一寸荷が増えると直ぐスリップして牽引不能に陥る蒸機が多いのに、モーター出力強化を云々することのナンセンスを感じていた小生にとって納得と満足のE10であった。
ウエート十分、牽引力十分、これでプロトタイプE10のイメージにふさわしくなって喜んだ記憶がある。
ウエートの話にウエートが掛かり過ぎたが、外観的にもよくバランスのとれたディテールと仕上がりの良さは数多くある当社鉄道模型社製品の中にあって抜群の存在感を発揮している。また、動軸5輪に先従台車までつけて、550Rをクリヤーする曲線通過性能も大したものである。(走行電流0.5A)最後に2誌の鉄模E10評を記載しておく。
   TMS 213号:同じメーカーのC62より各所に一段の進歩が見られる。
   鉄道考古学:C53と並ぶ同社のステータスシンボルといえる傑作。

(追加)
 E10助手席サイド写真

上掲のE10写真は機関士席側(一般の蒸機の助士席側)のみなので、追加として助士席側(一般の機関士席側)を掲載する。









’10.11.26 MOVIE、Still 追加
日本型模型に関する限り、当社においては旅客列車優先主義である。そのためベーカーカプラー装着のブラス貨車は6台しかない。
その6台を動員して先日ED15に牽引させてMOVIEを作成した。
この時の6台の貨車を格納する前に、今度はE10に牽引させてMOVIEを作成することにした。
次に天賞堂が1963年頃発売した10系軽量客車6輌(オユ12、ナハ11、ナハネ11、オシ17、オロネ10、ナハネフ11)牽引させることにした。
想定しているのはE10が晩年の約5年間働いた北陸本線米原〜田村間6.7Kmの交直デッドセクション。列車は寝台急行、極めて短区間走行でもあり、今回は思い切ってスロー走行でMOVIEを作成してみた。
それでは組立て後」44年経過したE10の走行MovieとStillx14を御覧頂こう。































TOPへ 保有車輌紹介 第1の部屋 13ページ 15ページ