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「第20回」 23. 471系 急行交直両用電車








(実車)
東北本線と北陸本線の交流電化の進展に伴って急行型交直両用電車451系、471系が製作された。東海道の153系を交直両用にしたもので、外部塗色はピンクにクリームを窓回りに配している。
東海道153系を基本とはしているが、交流用ならではのパンタ付近の賑やかさだが、その他プラットホームの低い区間も走るため床がステップ付きとなり、ドアが側板下端までのびているのが特徴。又153系に比べて、編成単位の短いことや、沿線に勾配区間があることからクモハが作られた。
50ヘルツ用が451系で、60ヘルツ用が471系に区別され後者には細い白帯が付いている。その後、主要電動機の強化、耐寒装備が加えられ、夫々455、475系まで発展し、50−60両ヘルツ共用の457系が誕生している。

(模型)
1963年鉄道模型社発売
発売された年に塗装済みキット5輌を購入。当時経済的理由その他から電車の編成長さは5輌に収めるとの方針のもと、型式にはバラィエティを持たせたかったので実車編成を無視してモハ471を1輌カット、クモハ471+モハ470(M付)+サロ451+サハシ451(M付)+クモハ471の2M3T5輌の"ゆのくに"号が当社の電車第1号に登録された。
その頃大阪に住んでおり、北陸本線の"ゆのくに"が活躍していたのでヘッドマークに"ゆのくに"を選んだ。(キットには東北、常磐線用"みやぎの""ときわ"も付属していた)但しここに問題がなくもない。471系実車のクモハ、モハには側面に細い白帯があるが、モデルのそれには白帯びがない。従って厳密なことをいえばモデルのクモハ、モハは451系である。
モハを1輌カットしたり、細い白帯のない471系"ゆのくに"を走らせるのが運転派モデラーの特権でありまた、楽しみでもある。当社電車登録第1号471系"ゆのくに"は車令40年を越えたが、この間無事故、無故障で今も550R仮設エンドレスを快走する。(オールブラス5輌編成2M 3T、ヘッドライト×2、テールライト×2点灯で走行電流1.5A)最後にTMS 181号(1963年7月)製品紹介
欄の結びの部分を紹介しておく。
「パンタの改良、床下器具の仕上げ取り付けに神経を払うことを必要とするが、それ以外はかなり良好な出来栄えで、国電ファンにおすすめできる好製品。最近の鉄道模型社製品の向上を示している。」

(2013.05.17. Movie、Stillx10 追加)
当社の電車登録第1号 471系「ゆのくに」は車令40年を越えたと本文(上述)に記述されているが、その本文掲載から今回のMovie掲載までに更に10年が経過した。「ゆのくに」満50才となったのである。
当社の日本型ブラスモデルの平均年齢も50才に近づきつつあるが、メンテナンスの基本方針は夫々のモデルが発売された当初の駆動メカニズム、パーツ(モーターなど)をそのまま維持し続けること。具体的には新型モーターに更新したり、新しい駆動方式を採用して走行させることは禁止である。(外観のみの古典モデルは当社には存在しない)
このためDV18モーターインサイドギヤーなどの予備品も50年間持ち続けているが、これ等を交換使用いた事例は1件も出ていない。メンテナンスさえ行っておれば、各パーツが非常に長期間使用可能であることを当社のモデルは示してくれている。
次に走行Movieについて、ホーム発着シーン(北側から撮影の2本)ではホームのある2番線を発車した電車がエンドレス2周目にはホームから離れた1番線を高速通過し再び2番線のホームに帰着する方式で撮影を行った。
また今回は157系「日光」5輌編成の撮影も行ったので、「ゆのくに」「日光」の併走と対向走行Movieも掲載する。それでは2M3T5輌編成「ゆのくに」の「満50才記念走行Movie」をどうぞ。

youtube 単独走行 北側から撮影 (1)  「日光」と対向走行 (1)


単独走行 北側から撮影 (1) (2)  単独走行 南側から撮影 (1) (2)  「日光」と併走 (1) (2)  「日光」と対向走行 (1) (2)























「第21回」 (近鉄車輌編 その1)

当社の車輌コレクションの重点は、日本型としては国鉄(JNR)及びJR各社の車輌及び私鉄としては近畿日本鉄道(含参宮急行)の車輌に絞っている。今回はその近鉄車輌の登場である。

24. 近畿日本鉄道10100系 ビスタカーU世(A、Bユニット6輌)











(実車)
関西地区はもともと私鉄が古くから発達し、スピードもサービスも互いに腕を競い合っていた。
近鉄は大阪〜名古屋、また宇治山田、伊勢志摩方面への特急用として2階建てのビスタカーを研究開発して独特の営業サービスをしてきた。特に東海道新幹線の開業後は伊勢志摩への観光ルートに重点がおかれ、レジャー客へのサービスに力を入れている。
1958年(昭和33)大阪線の特急用として破天荒なデラックス電車が登場した。10000系、7輌固定編成で、電車としては、おそらく世界で初めての2階展望室をもつ車輌でビスタカーと名付けられ大阪上本町〜宇治山田間で好評を博した。この実績をもとに翌1959年(昭和34)ビスタカーの改良型10100が量産された。
これにより在来の先行1編成10000系をビスタカーT世、10100系をビスタカーU世と呼ぶようになった。ビスタカーU世は3車体で1編成をなす連接構造がとられ、中間車が2階式となっており、これぞ日本の代表的な特急電車である。ビスタカーT世を改良しただけに、一段と洗練されたスタイルとなり、非貫通流線形と参宮急行2200型の「片目」を思わせる左右非対称貫通半流線形の2種類があり、その組み合わせによりA、B、Cの3種類の編成(ユニット)がある。A、B、C編成間は勿論、他形式の特急車とも連結が可能で、分割、併結による特急車輌の柔軟な運用が可能である。運転性能はぐんと上昇し、釣合速度は平坦線で170q/h、大阪線の運転上のネックである33パーミルの連続上り勾配でも100q/h運転が可能である。近鉄特急の歴史は、また同時に近鉄における名車消長の歴史でもある。色々な車輌中で近鉄特急の名声を確固たるものとし、多くのファンや乗客に親しまれた車輌といえば、やはりこの10100系ビスタカーU世をおいて他にない。
名古屋駅での新幹線からの乗換客には「2階電車の近鉄特急」に憧れてくる人が多く近鉄特急=ビスタカーのイメージを作り上げた車輌でもある。
評判高かったビスタカーU世は老朽化が進んだ為、そしてまた後継者ビスタカーV世(30000系)も誕生した為、1979年(昭和54)夏の「さよなら運転」を最後に、惜しまれながら全車54輌その栄光の歴史を閉じたが「乗る事そのものが楽しみなる車輌」という思想はその後の近鉄車輌の基本理念として受継がれている。

(模型)
1963年 日東科学教材発売
あまり発売製品の多くないメーカーから珍しく近鉄10100系ビスタカーU世が発売された。
もっともブラス生地ボディのみの発売なのでモーター、駆動機構、台車、床下機器、パンタ等々すべて個別の調達である。60年代の前半はまだこうしたパーツ類は豊富には出揃っていなかったので苦労したのをおぼえている。
幸いKD台車(メーカーはカツミか小高かそれとも日光か定かでない)はすでに発売されており、何とか全般的なイメージを生み出す事ができた。其の点ディテール派、工作派でない運転派にとっては気楽なものである。
ブラス生地未塗装のままAユニット+Bユニットの重連6輌運転を行って大満足した。勿論ヘッドライトは点灯式であるが、重連の場合中間のヘッドライトが点灯してはまずいので、A、B各ユニット毎 ON/OF スイッチを取り付けている。

ビスタカーU世 Movieへ     (’04.12.10追加)

(追加)
ブラス生地未塗装の完成モデルは機関車の場合それなりの存在感があり見方によっては塗装済み完成品に見られない別の魅力がある。電車の場合、未塗装だと何となく物足りなさも感じられ、後年ロコモデル製ペーパー塗装済みボディ使用の近鉄ビスタカーU世Bユニットを入手したので以下に紹介する











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