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You Tube 変則「8」の字走行 (1)


内側 Endress 2周走行 (1)   変則「8」の字走行 (1) (2)


[一口メモ]
「オリエント急行」("Orient Express")は日本でも有名な列車であるが、時代の流れに従って、その性格運用会社も変化しているので、その概要から始めることにする。

  1. 「元祖」オリエント急行
    CIWL(国際寝台会社)の運営で、CIWLの寝台車食堂車のみで編成された国際列車の運行を1882年開始した。(パリ~イスタンブール)西ヨーロッパとアジア結ぶ列車として、王侯貴族や外交官、富裕層に愛用され、その名声は高かった。(日本では、アガサ・クリスティー作「オリエント急行」殺人事件」によって有名となる)
    このように「豪華列車」を絵に描いたような「オリエント急行」もWWⅡ(第2次世界大戦)後は、航空機の普及や東西冷戦のため、その性格運行形態が変わってしまう。
    先ずCIWLの寝台車、食堂車のみの編成というルールが解かれ、むしろ2等車3等車主体編成にCIWL寝台車が併結されるにすぎない姿となり、ヨーロッパ東部から西部への出稼ぎ者の往来利用された。こうした事情から1971年CIWL社自体事業から撤退し車輌も手放してしまった。
    これが「元祖」オリエント急行の終焉である。
  2. 「派生」オリエント急行
    「元祖」オリエント急行の運行開始後、その名声にあやかってかどうか、ヨーロッパ各地に冠詞のついたオリエント急行(例:オーステンデ・ウイーン・オリエント急行、シンプロン・オリエント急行)や「オリエント急行」の名称はつかないが、「南急行」「北急行」のようにCIWLの車輛を使ってCIWLが運行する列車があった。これ等の列車をここだは「派生」オリエント急行と呼称する。WWⅡを境にして、列車の性格や運行形態の変化する模様も「元祖」オリエント急行と似通っている。
  3. 「新生」オリエント急行
    CIWL社が手放した車齢40年超えの車輌を買い集め、丁寧に修復作業を行った後、これ等の復元車輌による観光列車の運行を開始した会社が2社ある。何れも「オリエント急行」を名乗っているので、ここでは「新生」オリエント急行と呼ぶことにする。

次に日本を走った「オリエント・エクスプレス'88」について記す。
1977年不死鳥のように復活した"NIOE"の「新生」オリエント急行を日本で走らせるーーーフジテレビ開局30周年記念事業として実現させた、この「オリエント急行'88」は正に快挙である。車輌をヨーロッパから日本に船で運んで走らせるだかでも難しいのに、ユーラシア大陸を縦断して乗客を乗せた観光列車として走らせる、この計画は、当初専門家から「不可能」と強く反対された。30億円という巨費の投入関係部門の協力、それに高度成長期の日本にあって初めて実現出来た素晴しいイベントであった。Movieに登場するModelはKATO製、オリエント・エクスプレス'88 7輌基本セットと牽引機は全国ツアーのファイナル・ラン前補機を務めたD51 498である。又7輌の客車の内、プルマン食堂車のみ点灯方式なのでテーブル・ランプ点灯状況をスチールに収めている。最後に走行方式について、今回のオリエント・エクスプレス'88では内側Endless 2周走行Movieの他にN Gauge Worldでは初めてとなる、2本Endlessとダブルクロスを2回渡る変則「8」の字走行Movieを2本掲載する。

5枚のスチール














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