「第43回」 48.9600 蒸気機関車
(実車)
大正の名機と呼ばれるのにふさわしいのは、貨物用の9600型と旅客用の8620型である。
この2種は国鉄標準形蒸機として大量生産が行われた。
貨物用9600は1913(大正2)から770輌も製造された日本における1D Consolidationの決定版で、全国津々浦々までゆきわたり、貨物用、勾配用の王者として活躍、キューロクの名称を知らぬファンが居ないほどの存在となった。
東海道本線箱根越えの「晴れ舞台」の大将マレー(「第4回」7.マレー式蒸気機関車参照)に代わって天下を取ったのはこのズングリ・コンソリ9600である。しかしこのコンソリ9600の天下もそう長くは続かなかった。10年後に誕生した国産最初の1D1MIKADO D50(当時の形式は9900)にその王座を明渡すことになる。(「第36回」41・1 D50 蒸気機関車参照)まさに「一栄一落 是春秋」である。
スタイルの特徴は、当時としては画期的な高いボイラー中心をとった太いボイラーが、如何にも貨物用らしい威風堂々、力のありそうな姿をしている事である。
特急用の華やかさには較ぶべくもないが、永久に国鉄蒸気機関車史上から消え去ることのない9600である。
(模型)
1972年(昭和47)珊瑚模型店発売 未塗装KIT組立
9600の完成品は、すでに天賞堂から発売されていたが、貨物用機関車であるし(旅客用蒸機はC51からC62まで多少無理をして揃えたが…)高価な完成品を購入する気はなかった。
そこへ珊瑚模型店から、無塗装キットの9600が9600円という破格の値段で発売されたので、喜んで購入した次第である。
当時のTMS(NO286)によると、上下を組合わせる段階になると、モーターがブラシに当たるのを防ぐため、ランニングボードをヤスリで削ったり、ボイラー後部内側をヤットコで曲げてショートを防がなければならなかったと若干の問題点を指摘しているが、小生はあまり苦労した記憶はないし、TMS誌もまとめとして「かなりのディテールをつけながら、ローコストにまとめた点で、お薦めできる製品」と述べている。
最小通過曲線半径600oとあるが、当社では左回りに限り560R Endlessを所要電流0.6Ampで静かで滑らかな走行をする。その走行Movieをお目にかけて本項を終了する。
「第44回」 49.EF57電気機関車
(実車)
MT17より出力の大きい電動機MT38が、同じ外径で出来たのでEF56の最後の1輌はこれをつけて出場、機関車出力が1350KWから1600KWにアップしたのでEF571となった。
従ってEF571の外形はEF56の2次型(EF568〜EF5612)と全く変らない。
総計15輌のうち2号機以降が量産車として製作され、このとき1号機の欠点(主として室内温度の上昇)改良の為の設計変更が実施された。この結果パンタグラフはSGの煙突を避けて車体端へ移され、空いたスペースにベンチレーターを増設、こうしてEF57独特のシルエットが生まれ、その風貌がファンに強く印象付けた。
新製直後のEF57は全機沼津機関区に配置され、東海道本線 東京〜沼津間の客車列車牽引に当ったが、戦時中のこととて優等列車は姿を消し、おまけに鉄道を写すことが禁止されていたのでこの時代の写真は少ないという。
EF57の最も華やかな時代は、戦後の特急時代の幕開けと共に始った。
先ず静岡電化の時、低い道路橋があるのでパンタグラフ位置を100o下げる為更に450o前に出し、パンタグラフ取付位置は他に例のない特異なものとなり、一層勇壮な風貌となった。
1951年(昭和26)1〜9号機の9輌が浜松区へ転属し、東京〜浜松間で特急列車の先頭に立った。それまではトレーンマークは列車の最後尾に付けられていたが、この時から機関車にも取付けられる事となり「つばめ」「はと」のヘッドマークを誇らしげにデッキの先端に掲げたEF57の写真が多数残されている。
1956年(昭和31)東海道本線全線電化完成を機にEF57は全機上越線に移り、耐雪装備を付けて活躍、その後東北線でも新鋭EF58と共通運用されるなどEF57は最後まで優等列車の先頭にたった栄誉ある機関車である。
(模型)
1972年(昭和47)天賞堂発売(完成品のみ)
「ぶどう色」の旧型電機に関しては、EF55、56、57の個性派3台は是非入手したいと思っていたがその第1陣としてEF57が天賞堂から発売され、早速購入した。(それまでEF57の製品は無かった)外観・塗装に関しては、30年以上経過した現在でも、Aクラスの評価で、大満足である。
一方走行状況は1969年購入の天賞堂製EF15と酷似している。つまりギャー音がやや高く、スピードが遅いのである。
良く言えば「重厚な走り」であるが、「鈍重感」をぬぐい切れない。貨物用のEF15はそれで良いとしても、EF57にはもう少し軽快な走行を期待したいところである。
駆動方式はこれまたEF15と同じ1Motor 1Gearbox 6軸ドライブ(棒型モーター使用)の旧設計タイプではあるが、走行電流は、明るい米粒球ヘッドライト点灯で0.9Ampとまづまづの成績である。
最後に560R Endlesを走行するMovieとそのStillを掲載して本項を終了する。
PS EF579の迫力ある面構え |
「2006.05.19」 その後「つばめ」ヘッドマークを先端に装着したので、そのスチール写真を2枚掲載する。
(2012.06.07. 新版Movie、Stillx13 追加)
EF57の最も華やかだった時代−−「つばめ」のヘッドマークをつけ、戦後復活特急列車の先頭に立ったころ−−を再現すべくEF57のデッキにヘッドマークを取付けてから早や6年が経過してしまった。
愈々EF57牽引特急「つばめ」のMovie登場である。想定しているのは1950年(S25)、その前年誕生した「へいわ」から名称変更された特急「つばめ」。当時はまだ平和条約締結前の連合軍占領下で「特急列車」とはいっても牽引機EF57はじめ、客車も旧型寄せ集めの構成であったが、敗戦後の荒廃から復興する日本のシンボルとして人々の期待は大きかった。
EF57はその当時の電蒸接続駅浜松で、これ又戦前派のパシフィック蒸機C59にバトンタッチする。スイテ以外の客車がすべて新製特急専用車に入替わり、新製EF58が名古屋で新鋭ハドソンC62にバトンタッチする「つばめ」「はと」の黄金時代の幕開けがもうすぐ後に迫っていた。
モデルの方も客車は実車同様寄せ集めでる。スシ37、オロ36、スイテ49の3輌は小高製ペーパーキットの組立てで、室内灯、テールマークは点灯式だが50年以上メンテなしで点滅する様子が却って愛嬌である。
一方自作3等車は全て赤帯をまとっているのでKATO製プラスチックオハ35系3輌(赤帯なし)を採用、半開の側窓が印象的である。
天賞堂EF57の走りについては本文にもあるとおり、「鈍重な」という形容詞がいつもついてまわっていた。今回のMovie撮影でもStart〜Stop走行を始めた時にもこの印象はつきまとっていた。しかし撮影のための走行を繰返しているうちにその「鈍重さ」が少しづつ軽減しているように感じられた。(撮影のためとはいえ、この様な長時間走行はEF57にとって購入後初めて)
確認のため番外編連続走行Movieを作成した。このMovieからは「鈍重機関車」の印象を感じないのでこのEF57に「大器晩成型機関車第2号」の称号を与えることにした。(第1号はカツミ、シュパーブラインD51)
なおEF57単機走行Silent Movieが既に掲載されているが、これも歴史遺産として残し、今回は新版Movieとして掲載する。
主として北側から撮影 左回り (1) (2) (3) 右回り (4) | 主として南側から撮影 右回り (1) (2) (3) | |||||
主として東側から撮影 右回り (1) (2) (3) | 番外編(連続走行) 右回り (1) (2) |
13枚のStill写真
左回り走行 |
右回り走行 |
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