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「第22回」 26. 日光型 157系デラックス準急電車列車







(実車)
1959年(昭和34)日光線電化を機会に世界的観光地日光にふさわしいデラックス電車157系が登場した。その型式決定については国鉄内で種々議論されたが、特急「こだま」とほぼ同等の設備を持つ、クモハ157、モハ156、サロ157、サハ157の4型式が完成した。
冬の閑散期には東京〜大阪間臨時特急「ひびき」としても活躍する。後には冷房装置も備え、パンタが2個になるなどの変化がある。塗装は特急系と似た塗り分けで、塗色は当初は丹色とクリーム色であったが、後に特急電車と同色になっている。
クモハの前面は他に同型車のない独特のデザインで、増備車を加え合計30輌のこじんまりした特殊グループとなっている。性能上の特色としては、勾配区間を走るため抑速用発電ブレーキを備えていることが上げられる。

(模型)
1964年(昭和39)カワイモデル発売の塗装済みボディKITを購入。
(クモハ157+モハ156+サロ157+サハ157+クモハ157)の5輌で「第20回」に登場の471系"ゆのくに"号の場合と同様モハ156を1輌カットした編成となった。カワイモデルでは157系は「日光型」として1961年に発売を開始した。
其の時の仕様はクーラー無し、モハにパンタグラフ1個装備(実車出現時の姿)であった。
その後実車の変化に従って、屋上に角型クーラーをつけ、2個パンタグラフ仕様のモデルをカワイモデルでは「デラックス 日光型」と称して「原型 日光型」と平行して発売するようになった。当社に在籍するのは「デラックス 日光型」のほうである。
ホワイトメタル鋳造の立体感ある(有りすぎ?)先頭部の形状がカワイ製電車列車の最大の特色であり塗装もなかなかしっかりしている。471系"ゆのくに"号と同様2M3T(実際にはM車は1輌であるが、2Motor仕様のため1Motor車換算では2M3Tとなる)のオールブラス5輌編成の日光号は今でも安定した走行性能をしめす。(ヘッドライト×2、テールライト×2、点灯で走行、電流1.2A)最後に何かと引き合いに出された471系"ゆのくに"5輌編成と157系"日光"5輌編成の2者の並んだ写真を紹介して「第22回」を終了する。




[補足]
「第20回」から始まった今回の電車シリーズに登場した電車(但し、未塗装車輌を除く)がたまたま一緒に集まった写真が見つかった。
陳列車輌の整理のため一時的に仮置きしたものを気まぐれで撮影したもので極めて雑然としており本来掲載価値のない代物であるが、良く見ると、上記シリーズ車輌が顔を揃えているので、あえて補足掲載する事にした。




(2013.06.07  Movie、Still追加)
先回追加掲載の471系「ゆのくに」に続いて157系準急電車「日光」の走行Movieとstillを掲載する。「ゆのくに」の時は「満50歳記念走行Movie」であったが、「日光」来年(2014)満50歳となる。いずれにしても当社の「ブラスモデル」はみんな模型の世界での「超高齢者」になってしまった。動けなくなることの無いよう「健康管理」に気をくばる今日この頃である。
鉄道模型社「ゆのくに」カワイ「日光」も今回のMovie撮影のため長時間走行させたし、又併走対向走行も行ったのでこの機会に両車(社)の違いについて感じたままを述べる。Movieで御覧の通りどちらも快調に走行しているが、厳密に比較すると「日光」の走りの方がより滑らかで無理を感じさせない走りである。
カワイの製品で当社に在籍するのは今回の157系準急「日光」の他に15.C5941蒸気機関車42.C56スタイル蒸気機関車の3車種であるが、何れも抜群の走行性能メンテナンスフリー性能を維持し続けている。少ない品種を永年発売し続けて、良心的な作り込み信頼と実績を獲得した長寿命会社である。
一方の鉄道模型社「機動性」に優れた会社であった。戦後技術革新で次々登場する新型機関車(主として電関)をすばやく模型化して発売したので、当社には鉄模製モデルが多い。また鉄模製品は模型誌では第一級と評価されることは少なかったが、価格の安さとの兼ね合いを考えたコストパフォーマンス抜群で、この点を高く評価している。そして今は無い鉄模社の模型を懐かしく思い起こしているフアンも多いようだ。
それではカワイの「日光」単独走行と鉄模「ゆのくに」との併走、対向走行MovieStillをどうぞ。




電車の紹介が続いたので、今回から再び機関車の登場である。

「第23回」 27. 自由型 Bタンク 蒸気機関車



(実車)
自由型であり特定のプロトタイプがある訳ではない。
ダイアモンドスタッフ付きの可愛い姿は、どこかの軽便鉄道か森林鉄道で走っていそうな一般的なスタイルである。別名「森林タンク」というのも頷ける。
アメリカ型の鉄道模型には、このように特定のプロトタイプを持たず、最大公約数的なスタイルで色々な鉄道会社名を付けた機関車や客車は珍しくない。

(模型)
宮沢模型製 Bタンク機関車は1962年にはすでに発売されていたが、当社所属機は後期製品で1966年頃の購入ではなかったかと思う。
後期製品の特徴としては、カウキャッチャーが付けられた事と、黒色塗装でなく黒メッキ仕上げとなった事である。ダイアモンドスタックカウキャッチャー、おまけにヘッドライトまで点灯して、小さい体躯にも関わらず元気に駆け回る姿は微笑ましく、当社NO.1の愛嬌ものである。

(2011.11.09  Movie、Still追加)
今回、Bタンク機関車牽引軽便鉄道走行Movieを作成することにした。牽引される古典客車4輌(荷物車、並等車x2、並等緩急車)は1978年カツミ発売の塗装済み完成車である。(勿論、Bタンク機関車も古典客車4輌もMovie初登場)
それではカウチャー、ダイアモンドスタック、それに明るい米粒球ヘッドライトの3点セットが売りの自由型Bタンクが古典客車4輌を引いて懸命に走る姿を御覧頂こう。
イメージしているのは、何処かの大きな国鉄駅に接続する地方の軽便鉄道である。


Stillx3









「第24回」 28. C53 蒸気機関車







(実車)
1928年(昭和3)に東海道、山陽両幹線の急行旅客専用機関車としてC51より更に強力な 3気筒2C1(パシフィック)過熱テンダー機関車 C53 が登場した。
普通の蒸気機関車は左右に1個づつのシリンダーを持っているが、軌間の広い欧米の機関車では、台枠の内側にも1〜2のシリンダーを余分に持って全体としての出力を増加し、回転力の平均化をはかって高速運転を円滑に行えるようにしたものが昔からあった。これが3気筒とか4気筒式機関車である。
我が国でも狭軌用として4気筒は望めないが3気筒は実現可能性があるのではないかとかんがえられていた。当時旅客の増加に伴って客車の大型化、鋼製化が進められ、連結輌数も東京〜下関の幹線急行列車は10輌以上になる傾向にあったので C51よりも強力な機関車を待望するようになり、3気筒の実現を見るに至ったものである。
国鉄では3気筒の本家である米国のAlcoから見本輸入として6輌の8200型(後にC52と改称)を購入し東海道本線、名古屋地区で試用した。
この試用経験に基づき国産型の設計が行われ1928年(昭和3) C53 第1号機が誕生した。以後十数年間、東海道、山陽両幹線の文字どうり王者として君臨することになる。D51より大きなボイラーを付け、C51 と同じ1750mmの動輪を持つが実際の寸法より大きく見えるあたり、C53ならではの風格であった。
代機 C59 が登場してからも、その名とともに3気筒のブラストは轟きわたり、総数97輌、他線へ転出する事なく約20年の生涯を全うするあたり、他の機関車には例のない大きな足跡というべきであろう。

(模型)
1964年カツミ発売のシュパーブライン「第3弾」がこのC53である。「第1弾」D51はすでに本稿「第10回」に登場済みである。「第2弾」の C62は当社に在籍しない。
カツミ シュパーブライン「第2弾」が発売になったのは1963年(昭和38)のことであり、それより8年も前の1955年(昭和30)にすでに鉄道模型社がC62を発売しており、この鉄模製 C62が当社で今も健在である(「第8回」参照)話が他機種のことにそれてしまったが、このカツミ シュパーブラインC53は組立て後40年を経過しているが、未塗装ブラス生地の汚れも比較的少なく黒色メッキのシリンダーブロックや細いスポーク動輪が好印象である。モーターは DH15でギヤー比 30:1で走行も極めてスムーズ(音も静かで Slow もきく)同じシュパープラインのD51よりも走行性能は数段優れている。泣きどころは曲線通過性能。
C53 も D51 もピストン尻棒を取り外し、550R通過が限度である。なお、このC53には写真で見るようにデフを取りつけていない。
その理由は、このモデルが発売される3年前に当たる1961年(昭和36)動態復元され自力走行を披露後、大阪交通科学館に展示保管されたデフのないC5345をプロトタイプとしているからである。当然のことながらナンバープレートも「C5345」である。

(2012.01.20. Movie、Stillx19 追加)

今回追加のMovieStillは賑やかで盛り沢山なものになってしまった。その理由を記そう。第1の理由"C53牽引1・2等特別急行「富士」"のMovie撮影が46年ぶりに行われたこと1966年初代レイアウト開通式直後の運転会で上記特急「富士」走行Movieを初めて撮影したのである。(カメラはCannon8T、16mmフイルムを使って往復撮影し、切断して8mmフイルムに仕上げ)その8mmフイルム劣化で見ることは出来ないが、運転会Stillは残されている。
3等車(赤帯)のない1等車(白帯)2等車(青帯)のみで編成された箱根越え特急「富士」「陸の王者」の名にふさわしい憧れの列車であった。(丹那トンネル開通後の2代目「富士」は3等車を連結して各等特急となる)
未塗装機関車塗装済み客車を牽引する列車の走行Movie作成を禁じた制限則撤廃後のMovie作成は13、D511、1号機関車に続く第3弾はいよいよ「真打C53牽引初代富士」となる。Movie作成に力が入ってしまうのは当然の流れと言える。しかも46年間、注油以外に一切補修、調整などの手を加えていないのに46年間という時間経過を全く感じさせない快調な走行は、当時のカミソミマツモト模型の良心的な作り込みの賜である。走行車輌の詳細
盛り沢山となった理由の第2D50EF53という脇役が新たに参加したこと。初代レイアウト走行当時未だ発売されていなかったD50EF53が現在は在籍しているので、東海道本線の電、蒸接続駅国府津周辺箱根越えをイメージした今回のMovieには欠かすことの出来ない存在となった。
EF53は塗装済みELなので、例の制限則に抵触しないので東海道本線電化区間の1・2等特急「富士」としてMovie掲載済みなので今回は文字通り脇役として国府津駅周辺で待機する姿をMovie、Stillに収めるのみに留めている。
一方D50の方を脇役と呼ぶのは失礼である。箱根越えをイメージした上り勾配で展望車「スイテ」の後について懸命に後押しするD50は立派なC53の共演者である。それにもう一つ、C50の名演「番外編」がある。
遠い昔のことになるが、「富士」(或いは「燕?」)の展望車から箱根越えを終えたD50走行中連結器を開放して遠うざかっていく姿を捉えた記録映画を観た記憶がある。
記録映画のような走行中の連結器解放はModelでは無理としても、逆に実車で実現しなかった走行中の「連結」は?。こちらの方は真面目に考えればModelでの再現は不可能とは言い切れなさそうである。アナログDCで同じレール上のC53D50個別スピードコントロールすることは出来ない。しかしこの命題から両車の走行中連結が何時の場合も不可能との結論は出てこない。色々複雑な諸条件が上手く揃えば、言い換えれば運良く偶然可能となることもある
走行中連結番外Movieは単なる偶然のなせる業である。従来からModel Railroadingには想像創造の楽しみがあると主張してきたが、今回の番外編Movieでもう一つ偶然の楽しみを味わうことができた。それでは盛り沢山のMovieとStillをどうぞ。

 C5345牽引1・2等7輌編成特急「富士」




















 箱根越えで後部補機を務めるD50380










 国府津でバトンタッチの相棒EF5317と並ぶ









 国府津で2台の関連機関車D50、EF53とともに










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